今までを振り返って

私の生まれた時の家業は祖父の代から続く、孵化業であり、父の代から養鶏を兼ねるようになり、一方では米を作る兼業農家でもありました。
鶏の交配・品種改良した種鶏雛を全国の養鶏農家に送っていました。
よって当初は雄の鶏も飼い、自然交配させてましたが、ある時から人工授精に切り替えました。基本雛出荷ですので、有精卵が基本であり、その中で授精できなかった無精卵を食用として出していました。
採卵用の鶏は農家では卵を産ませる機械のようになり、本来産んだ卵を自ら温めるという本能を忘れさせ、産んだら卵を取り除き、次の卵を産ませる機械のようにように人間がさせてしまったのです。
本来の鶏の原種は茶系の野生のものであり、白い色は突然変異で生まれたものを人間が交配を繰り返し採卵用に優れている品種に改良して来てしまったのです。
採卵用とブロイラー用と分けて品種改良して新しい品種の種鶏雛を作り世に出すのが本業でした。でもそれは人間の都合で行って来た事でもあり、自然の生態系を考えた時も含め、遺伝や命の誕生というものを考えさせられる私にとっては葛藤の日々でした。
花の本質画像花にも同じような事が言えます。長く楽しむ長い期間楽しみたいが故に、花殻を摘み種を付けさせない、八重品種を多くつくり、人間に綺麗に見せるのみではなく、雄蕊、雌蕊を解り難く、虫に受粉させにくく雄蕊、雌蕊を劣化させてしまった。その事で何とか種を作ろうとして花は長い期間頑張って咲く。花がらを積んで種を付けさせなければ、花は何とか子孫繁栄の為になんとか種を残そうと次から次へと沢山の花を咲かせようとする。
人間はその子孫繁栄のエネルギーを逆利用している事もあるのです。

多くの人が人間主観で考えるために、自然を守る、生態系を守るとは?という観点にたって本質を知ろう、考えようとする何かを忘れかけ、利便性や人間の都合を重視するがゆえに、相手の命と向き合う姿勢から遠ざかってしまって来たのかもしれません。
 それらも本質を知っておく事は大事な事ではないかと思っています。